よつまお

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【宝探しは何処までも】私は宝物を探している。宝と言っても、別に徳川埋蔵…

私の最初期作品。

当時所属していた同人団体にて、初めて冊子掲載したものだったと思う。

セルフレビュー 

 

ここに書かれた文芸に対する私の考え方は、デジタル時代では少し置いてけぼりをくらいそうだ。

 

全体に随分と優等生的な文にまとめてしまった感がある。だが、描かれている夢はいつまでも色褪せていない。この時抱いた想いを、いつか実現したいと思っている。

宝探しは何処までも

私は宝物を探している。宝と言っても、別に徳川埋蔵金だとか、世間をあっと驚かせるような歴史上の遺跡といったものではない。

 

宝物を一つ思い浮かべて、と言われたら誰にだってあるはずだ。私もそんな自分だけの宝物を探している。

 

私には子供の頃から「拾い癖」があった。

 

道端に落ちている珍しい形の石、帰宅途中の工場傍に落ちている何に使うのかわからない不思議な部品。

 

今思えば、将来は考古学者になりたいという夢の現れだったのだろう。その悪癖のせいでよく親を困らせたものだ。

 

そんな私も学生から社会人になり、大人になっていく。だが私は未だに宝物を探している。

 

ここ数年ずっと集めているのは、昔欲しかった本の数々。

 

新聞記事の広告で見て興味を引かれたもの、書店で見かけて欲しいとは思ったものの、結局手にすることがなかったもの。

 

何軒も古書店を探し回って、目的のものを見つけたときの達成感は何にもかえがたい。そうやって一つ一つ宝を集めていく作業はとても心が躍る。

 

例えば、電化製品のカタログを見てどれにしようかと選んでいる時のような高揚感、洋服店の中でああでもないこうでもないと買い悩んでいる時のもどかしさ。

 

大人になった今見ると、期待していた内容とは程遠い本も多いけれど、そんなコレクションはもう段ボール数箱を超えた。

 

目的のものを手に入れたと同時に、私の目の前に当時の思いがよみがえってくる。

 

友人と時間も忘れて遊んでいたこと、難解な数学に必死になっていたこと、自分の将来で道に迷っていたこと、まるでつい数時間前に起きたかのような臨場感のある思い出。

 

いつの頃からか、集めた本を読み遂げることだけでなく、集めること、ただそれだけでも満足するようになっていった。

 

そもそも宝物そのものに限らず、それを探す過程とか、そんな付加価値も好きなようだ。

 

私は以前から、本は絵画や彫刻のように一つの芸術作品だと思っている。

 

構成の素晴らしさや作者の紡ぐ言葉の美しさだけではなく、本の装丁や挿絵、紙の材質に至るまで、その全てが好きだ。

 

本が売れない時代。携帯電話やパソコンの画面の中で電子的に本が読める時代。それが手軽で合理的で資源のムダをはぶくエコにもなるのだという。

 

私もまだギリギリ若者の範疇に入ると思うのだが、どうもその感覚が理解できない。

 

ちなみに時々、その風潮は若者の活字離れなどと非難されるが、一応若人を代表して断じてそんなことはないと言い切っておく。

 

テレビが好きな人もいれば、ラジオが好きな人もいる。歌の良さは? と聞かれ、ある人は「曲調」だ。またある人は、いや「詩」だと答える。

 

活字に触れる場面は今やこちらが望まずともいくらでもあふれている。多忙な世の中で価値観と手段が単に多様化しただけなのだ。

 

そんな現代でも私があえて本を宝物とする理由。

 

文字の色彩や匂い。行間の息遣いや作者の体温。人が書いた本にはそれらが生きている。

 

残念ながら私の未熟な感性では、電子化されたそれからは、伝わるものを感じ取れるだけの器用さが足りないのだ。

 

幼い頃はその本のイメージを片時も手放さないために、次のページをいち早くめくりたくて、夜更かしして目が悪くなるのも省みず、一日に何冊も読み漁っていたものだ。

 

時には私が人生の壁にぶち当たり、心が折れそうになったとき、本の中の生きた言葉に救われたことは数え切れない。

 

願わくは、私もこんな作品を作り上げることが出来たら、とさえ常に思っていた。

 

どうやら私にとっては、本を探し集め、文章を読むことだけではなく、書くことも宝物になるらしい。

 

世間一般からすると口下手な私だが、もっともっと上手く人に気持ちを伝えたい。それが誰にも見せていない真の自分を打ち明けることができる唯一の方法だから。

 

私の望む世界、私の望む自分自身。本の中なら何だって言えるし、何にでも成れる。

本の世界の住人になりたいのだ。

 

もしも映画や演劇を超越する感動や感銘を生み出すことができたなら、それは物書きとしての真骨頂だろう。

 

いつかは私も誰かの宝物を作れるようになれるのだろうか。私だけの宝探しはまだまだ続きそうだ。