よつまお

雑記と過去ログ置き場。時々担当が入れ替わりながら、ゆるーく不定期更新していきます。

【音楽ムラ】ラブ&ピースな雰囲気を醸し出しつつ中には深淵が広がってるよね

 

もはや掲題でだいたい言いたいことが詰まっているんだけど。

とあるインターネッツの片隅で、ある人のイベントにミュージシャンが参加することになっていたんだけど、急遽それが取りやめになった。

んで聞くところによると、その不参加になったミュージシャンの仲間(というかむしろ立場的に上のヒト)から「あんな奴のイベントになんか参加すんじゃねーよ(意訳)」的な話があったゆえということで。

 

まぁ実際の裏側は当事者のみぞ知ることだから別として、端的に言えば「あのコと仲良くするなら○○チャンとは絶交だからね!」的な実にくだらない小学校低学年レベルのオチだ。

普段、ミュージックが好きならエブリバディおk!ラブアンドピース!なんだったら人類皆兄弟!的なノリのことを言いがちなミュージシャンのヒトたちが、

結局のところ思想や派閥の選り好み丸出しの、ひいては党派性満載のことをやっていると何だかなぁって気持ちになる。

 

っていうか前述のイベント出演を取りやめさせた(?)ヒト界隈は、おそらく日常的に反体制や反権力をうたっていると思うんだけれど、自分自身がその中であたかも権力者ないし体制側として振る舞っていることに気付いているんだろうか。

意識してやっているならまだしも、無意識だとしたら実に滑稽でね。人類皆兄弟!(ただしオレorワタシたちが認めた奴だけ)っていう括弧付きな感じが心底薄っぺらい。

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んで個人的に、時代が刻々と移り変わろうとしているのにアーティスト界隈ってまだそんなことやってんのかっていう「うわぁ……」感がすさまじくて、イベント不参加決定どうこうよりも非常にげんなりしたわけよ。

 

というわけで今回は、大昔に音楽を味見した程度の者による、一定時期における特定コミュニティの話という、超絶主観的な狭い観測範囲を元にした偏見混じりの汎用性のない雑記ネタ。

 

そのため当然音楽的な技術論なんて微塵も語ることはないし、これまでの音楽史なんかの論考もこれっぽっちもない。

なので万々が一、そういった類いの情報を求めて迷い込んだ子羊ちゃんたちは、そっとブラウザバックして電子の海へ帰還してね(はぁと

関係が有るような無いような話

まぁ以下から何の脈絡もない昔話が続いていくんだけど、ベースの言いたいことは音楽って今も不自由だしホントくだらねぇなって思って。

(別に音楽そのものや音楽活動に打ち込んでいるヒトを見下しているわけじゃなくて、構造的なモノのこと)


さて時は遡り90年代、空前のバンドブーム(&J-POPブーム)到来。

○週連続シングル発売だの、○○万人ライブ開催だの、果てはオーディションやインディーズからまるで毎日かのようにメジャーデビューが決定する等、そんな無茶なことをやりつつも、実際なんとなく売れてしまうために成り立っていたそんな時代。

 

当然若かりし私もその時代の波に熱狂した挙句、学生時代にギターを覚えてバンド活動に没頭していくわけよ。

半音下げチューニングっていう謎作業

んでさぁ個人的に最初すごく不可解だったのが、当時売れてた曲をコピーしようとしてバントスコアとか見てみると、半音下げ(上げ)チューニングとか書いてあるわけよ。

ふと、なんでそれやんなきゃいけないん?っていう。

いや技法的な意味じゃなく、チューナー噛ませて弦を調整しなきゃいけないっていうアナログ感が意味わかんなくて。

っていうか最初にわざわざ正しくチューニングしたんだから、それで終いじゃないんかいっていう。

 

んなもんアンプやエフェクターの基本機能でできないのかっていう思いがあって。アコギならまだしもエレキなのにっていう納得のいかなさ。


当時は安心プライスのKORGパンドラやBOSSのマルチエフェクターを使ってみたりもしたけど、そもそも「音作り」っていう作業がすごく非効率的というか。

いちいち余計なことをしなければ成り立たないっていう煩雑さが(対してそれが演者の個性に繋がるわけだが)、ギターに最後まで馴染めなかったきっかけのひとつ。


一応いわゆるピッチシフター自体は当時も発売されていたけれど、貧乏学生の身にとっては非常に高価な代物だったわけよ。(あわせてCDや音楽雑誌やスタジオ代等々を都度工面するなんて簡単に出来ないしね)

 

というかまずロックサウンド全盛では、歪んだ音がかっけぇ!っていう価値観だったので、ディストーションなりオーバードライブ機能のある機材の方が優先順位が高く必須だったわけで。

なぜシールドと呼ぶ必要があるのか

あとはケーブルをシールドと呼んだりから始まる、ちょっとした専門用語っていうか業界用語の謎っていうか。(アンプもむしろアンプ内蔵「スピーカー」だし)

当時の家庭内の音楽機器は、いわゆるバラコン(セパレート)からミニコンポ、ラジカセ、ウォークマン、ポータブルプレーヤーなどなどに移り行く時代で、

あの手のオーディオケーブルの類いが身近な存在になってくると、いつまで経ってもあれは所詮見た目はただのケーブルであって。


もちろん性質的にはノイズ遮断やらインピーダンス(抵抗)の違いがあるけれど、んなもんケーブルはひとまとめにしてケーブルなわけよ。

牛丼をなぜ特定の場所では牛めしと呼ぶ必要があるのかっていうのと同じで(たぶん違う)本当にめんどくせぇなと。

 

結局のところ、今のようにネットが普及しまくっている頃とは違って、何ら説明もなく当然とされるリテラシー(や作法)がやたら多くて、またテクニカルなことも調べられる方法が限られていたわけよ。


だから音楽界隈に足を踏み入れたての初心者にとっては、特にバンドという形態を志すなら、まずナカマやセンパイってやつが必要で。

(今のデジタル環境なら「当方ボーカル志望!バンドメンバー募集!」なんてしなくても「バンドメンバー全部オレ!」が出来なくもないわなw)

ムラ社会の構築の必然性

んで例えばそこで上下関係などが構築されると、そのコミュニティ内で技術や用語が口伝される(or機材や音楽媒体が貸し借りされるorスタジオやライブハウスとコネが生まれる)という、ナカマイシキに依拠したリターンも得られる結び付きがあったわけよ。

 

ただ他方で、音楽的に(または人間的に)慕う者や敵対する者の判断は概ね、センパイやトモダチの価値観に左右されがちなために(そうしなければナカマイシキに支障が生じかねない)、

結果的に「あの人の言うことは絶対!」的な狭い排他的なコミュニティにおける教祖サマを祭り上げることにもつながるのだろうなと。

そりゃ音楽性や方向性の違い~的な言い回しでオブラートに包んでいるけれど、要は主義主張の相性が今でもメンバーを分かつ主な理由になったりするのも当然で。


この傾向は今でも変わらない気がしていて、ひいてはギタリストという一分野に限らないけれど、ミュージシャンだけが分かるとかアーティストだけが知っていればいい、

なども含めある種の閉塞的なムラ社会的な文化が上下左右の強い連帯感生む一方で、単に音楽が好きなだけ、という初心者や一見さんを阻む要素の一つでもあったよなと。

担当パートにもよる違いもあるが

バンド形式だと普段担当する楽器によって、なんとなーく性格的な差も傾向付くような気がしないでもないし、なんだったら生息場所もやや違うと思うんだよね。

というわけで私はちょとギタリスト界隈が嫌だったこともあって、やがてスティック二本で単純明快なドラムを嗜むようになるわけよ。

 

まぁそれもそれでやっぱり他者とのコミュニケーションの一環として、また独特なバンドマン的な用語を駆使して輪に加わる必要もあり(っていうかナカマじゃなきゃあかんのかっていう)、

こだわろうとすればするほど細かな機材を足していかざるを得なくて(とすると単独かつ自力も容易ではなく)、なんだかんだ音楽ってもの自体が一般ピープルには孤高で完結できるとは言いづらいよなと。

 

ドラマーだろうがなんだろうが、才能や腕一本でとは表現されつつも、つまるところ無駄にお金かかるよねっていうことが分かるというオチ。

要はそのおカネを優位に生み出せる、あるいはハナから所持している強者が環境的には恵まれているのは自明な一方で、音楽が真に好きであればガッツで乗り切れ(要は稼げ)的なことを言いがちなノリもまたあって。

 

これは一見常識的な物言いに見えつつも、経済的な問題って人によっては極めて参入障壁として高くて、音楽が好きという志向は単に(最低ラインの)必要条件を満たす程度なんだよね。

そして先述のようにコミュ力やコネや世渡り上手さがどう考えても必要で、別途十分条件としては明らかにリア充寄りや体育会系や、なんだったらインテリ層に向けられたものになりやすいよねっていう。

 

何ていうか、基本的に来るものを拒まず去るものを追わずでありながら、そこにひっそりと「気に入らねぇ奴は追い出す」が付加されている感じが果てしない。

いずれ変わるのかねぇ?論

別に未来予測的な大それたことを言うつもりじゃないんだけれど、上記までの傾向って時代と共に薄まりつつも、根本的には変わらないんだろうなぁって思いがある。

っていうかやっぱりアーティストやミュージシャンって、なんだかんだ我が強いヒトが成功するように見えるし、端的にはそれだけ根性のある気質じゃないと食っていけないし、プロとして勝ち抜いていけないんだろうなと。

 

まぁ今でこそyoutuberやら1人1デバイスのネットの隆盛で、個人やアマチュアのアーティスト単独でも成り立ちやすいように見えるけどさ。下手したらコミュ障にだって、場や機会は開かれているし。

でもそれでも時に、信者とも揶揄される熱狂的なサポーターたちは必要じゃん?これは昔ながらのファンクラブ、ってやつが単に登録者数やフォロワーという可視化しやすいシステムに変わっただけの話で。

 

すると音楽もつまるところ、コミュニティ構築&拡大&維持の問題になってくるわけで。

なんとなく売れている楽曲を耳にすると、その人の音楽的な才能や旋律、ポリシーやメッセージと言ったものが人の心を打つのだろうと思う反面、端的に言うと人心掌握術に長けているから売れるんだろうなぁとも思うわけよ。

 

ってことはやっぱり先述のナカマやセンパイやコネって構造が無くなる気がしなくて、「少なくとも自らが認めた人たちによるラブアンドピース」っていう限定されたコミュニティって傾向は変わらないんだろうなって。

たぶんその内部にいるヒトたちは、特に上層では一見本当にラブアンドピースが実践できているんでそのことに気づきにくいけれど。

んで他方で、フェスやらライブやらで自らを支持してくれている観衆を目の当たりにしていると、ココに比べてセカイってやつは争いばかりで何て醜いんだ!とか

オレたちはこんなにも一つになっているのに!とか思い始めて、よし打倒○○!反○○だ!なーんて言って先鋭化しやすいっていう太古からの恒例の流れw

 

HIP-HOP界隈ではリスペクトだのディスるだの横文字でカッコよく表現されることもあるけれど、それって結局合う合わない、好き嫌いの話みたいなもんだからね。

なんかね、ヒトである以上たぶんそういった感情は不可避なのに、他方で音楽が地球を繋ぐ!的な理想をマジメに掲げてるのがもう心底ファンタジーだなって思うわけよ。

アーティストたちが例え音楽という存在を愛していても、その他のしょーもない問題で自分たちはどれだけ袂を分かってきたのかと。

 

まぁきっと「音楽」というものに癒されたことや勇気づけられたことがある人は多いだろうし、忘れられない思い出の曲も誰もが1つくらいはあると思う。今や文化としてもエンタメとしてもなくてはならないモノ。

でも冒頭の事件(?)を見聞きして、なんだかんだ魅力的で上等な歌詞や楽曲を書きつつも、やっぱミュージシャンは今も変わらず普通の感情的な「ヒト」という、カオスな生き物なんだよなぁって思った次第。