よつまお

雑記と過去ログ置き場。時々担当が入れ替わりながら、ゆるーく不定期更新していきます。

はてなブロガー自由ネコさんの「ダッシュツ村」からあれこれ考えてみる

 

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(約9,000文字) さて自由ネコさんといえば、はてなブログでは屈指の人気ブロガーでもはや説明不要。

もちろん私ももれなく氏の記事更新を楽しみにしている読者の一人なわけよ。

 

そんな中、今回のいわゆる「ダッシュツ村(仮)」が企画として挙げられていたので、私的に非常に興味深いテーマなので色々と考えてみたよ。

gattolibero.hatenablog.com

f:id:yotsumao:20190113030614j:plain

そもそも話――

まだ自由ネコさんがはてなブログを始めたばかりの頃から定期的に記事を拝読していたけれど、根底にある思想的な志向において、私とかなり似通っているなーと勝手に思っていたんだよね。

 

とはいえその反面、趣味や嗜好的な部分では、私の視野がごくごく狭いことも相まって方向性が別ジャンルな気がするけれどw

 

さぁそれはさておき、その「思想の類似」に確信めいたものを抱いたのは、今般の掲題である「ダッシュツ村」。

 

まぁこれ、ざっくり言ってしまえば「広義」での「ゲーテッドコミュニティ」を作ろうぜ!ってことだと私は定義している。

 

そもそもゲーテッドコミュニティってなんぞ?というかたはwikiでも参照されたし。

ゲーテッドコミュニティ - Wikipedia

 

考え方としてはわりと世界中である試み

まずは、ご近所のはてな民発信としては「石の裏のダンゴムシの会」さんが行っていることは、たぶん自由ネコさんがやろうとしていることに根っこの部分では近いのかもしれないね。

dango64.hateblo.jp

 

ちなみに前述のゲーテッドコミュニティに関しては、基本的には「教育レベル(端的には学歴)」あるいは「収入レベル」で「外界」とは「区別」されていて、主に「安心で安全(治安的な意味で)」に暮らせることに対してステータスが全振り状態になっている。

 

例えば近年駅前などの利便性の高い一等地によく見るようになった「タワーマンション」。

これも収入レベルの高い住民(ということは必然的に教育レベルも高い傾向にある。卵が先かニワトリが先か的な話は別として。)が住み、かつ敷地内における快適性や安全性を追求しているという意味においては、これも広義のゲーテッドコミュニティに含まれるといっていい。

 

また近年話題になったものと言えば、太平洋に人工島を作ろうという計画。

gogotsu.com

 

石油王ひしめくドバイでも似たような計画があることからも想像に難くないように、実現したとすれば「富裕層」が自らの自由を謳歌するために、または「権力者」がその地位を存分に活用するために、あるいはタックスヘイブンとしてまさしく楽園としての機能を持つことになるだろうと思う。

 

でもお金が無くてもコミュニティ作りたくね?

自分と似たステータスや属性の人たちと仲良く気ままに暮らしたいぜ!っていう欲求は人間誰しも一度は抱くことなわけで、それを世界で最も実現しつつあるのは、つまるところ先述のように「富裕層」が中心ってことになる。

 

まぁお金がなきゃリアルで大規模なことってなんも出来ないからね。

 

しかし決してリアル限定でしか生きていけないわけじゃない。それこそ現代ではネット社会がこれだけ進んでくれたおかげで、少なくとも食っていく「だけ」のお金だったらわりと簡単に手に入らんことも無い。お金を得る手段が多様化したからだね。

 

一方でパイの奪い合いになるがゆえに、単価としてはデフレ傾向にあるのが困りものなんだけど。

 

とはいえ自由ネコさんがやりたいことは、むしろ逆に既存の「教育レベル」とか「収入レベル」とかで区別するんじゃなく、もっと人間の根底にある「価値観」とか「思想」が似通ったもの同士でコミュニティ作って何か面白いことできたら尚良し!ってことだと私は理解している。

 

人同士の関わりって多様でいいはず

自由ネコさんは生きづらさをテーマにしていた時があったけれど、それを解消する術として、現代における駆け込み寺を作るという発想には大いに同感。

 

というか現代における生きづらさって、別に「孤独感」だけじゃなく、むしろ行き過ぎた「相互理解」に対する息苦しさもあると思うんだよね。

 

ネット社会が進んでどんどん顕著に表面化してきたけど、人の価値観とか個性ってかなり多様化していってるわけじゃない?というか極論、人間って平等じゃないよね?

 

なのに、ごくごく当たり前に「みんな同じ人間です。受け入れましょう」ってすごく無駄っていうか、正直いつか限界がきて破綻してしまうと思うんだよ。

 

ものすごく端的な側面でいえば、アメリカでトランプ政権が誕生したのはそういった反ポリコレ的な精神も否定できないと思うんだよね。

ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia

 

いやいや、もちろん「区別」ひいてはいわゆる「差別」をなくすために日々活動している人々を否定する気は全く無い。

 

差別とかをこの世界中から一掃できたらそれは素晴らしいのだろうと思うし、同時にイジメとか戦争とかなくなって、その頃にはすべての人間が、一種の神のごとき聖人のような精神を持った、かつてニンゲンと呼ばれていた「別の生き物」になってるんだと思う。

 

うん、私としてはちょっとそれは箱庭的で気持ち悪い世界だけど、まぁそれが世界の総意なら、選択ならそれはそれでいいんだと思う。

 

でもたぶんすぐには無理なんだよね、そんなお花畑のようなキレイなセカイ。だからこそ結局「区別」って必要なんじゃないかと。

 

どういった関わりが心地良いか

論法としてはこう

――全ての個性と価値観を「理解」はする。だけど一定以上は「納得」できない。ゆえに限度を超えて「受け入れる」ことも出来ない。

だから「私は(私達は)アナタとは別の世界で、私と同じような人々と暮らします」――

というそんな選択があってもいいんじゃないの、と。ごくごく自然な流れだと思うわけよ。

 

身近な例に落とし込めば、日夜ウェイウェイ言いながらパリピしたい人は別に勝手にそうすればいいよね、ってだけの話で。でもそれを他人にまで強制しないでよ、と。大切なのは選択肢の多さ。

 

まぁしかし世の中ってのは広いもんで、自分が一番乗りで考えたぜ!って思っても大抵世界のどこかには既にそれをチャレンジしている人がいたりするのが常。

 

気の合う限られた少数とだけ関わりたいって欲求はネット時代以降もあって、むしろ昔のmixi的な招待制のSNSってまさに先見の明があったと思うし、反フェイスブックを掲げたクローズドSNSの「Path」が立ち上げられたりもしたわけだ。

 

今のコミュニケーションのカタチ

とはいえ、結局のところは限定的な範囲のコミュニティを目指したそれらは失敗して、一定のペルソナを被り、ほどよいの距離感を保ったクラスタで過ごせるtwitterが定番コミュニケーションツールとして定着しているのは皮肉な話。

 

いわゆるトライブ化ってやつなのかな。ちなみにトライブとは――興味や目的において共通項をもって、コミュニケーションを取る集団。(EXILEじゃねーよw)

 

だが一方で、匿名でいられる2ch(現5ch)はコミュニティとして未だに根強い人気があるし、キラキラしたインスタ映えなどに抵抗を覚えるSNS疲れの層も顕在化してきている。

 

ネットというバーチャル空間ではおそらく今後も似たような流れが繰り返されていくんだろうけど、リアルが人生における主軸になっている以上、なんだかんだ問題は尽きない。

 

というかなんで小中高ではいじめって社会問題になって、大学や社会人以降ではあまり可視化されないんだろうね?報道の問題?

 

むしろ「学区」が同じだから、とかいうアホな理由で多種多様な人間が一堂に会しているから問題が起きてしまうのであって、

似たような人間が「適度な距離感を保ち」、「一定のレベルで区分け」されている方が人同士の争いって起きにくいんでないの?って思ったり。

 

とはいえだ、リアルでそういう理想の環境を手に入れられるのはわりと稀だし、かといってその捌け口がバーチャルだけだと物足りなくなったりもするわけよ。

 

そこでネットとリアルを繋ぐような、自由ネコさんが表現するところの「オフ会に参加できない人々のためのオフ会」への需要は無くなることはないと思う。

 

ここで唐突な自分語り

実のところ私はかつて、そういったコミュニティをリアルに作れないだろうか、と奔走したことがある。

 

数年前、いわゆる自己責任論が台頭していた世論だったのもあって、それに対するカウンターとして、社会から一定数こぼれてしまう人々への教育と生活レベル向上を目的として、駆け込み寺の機能を持ったNPO法人を作ろうとネット上で知り合った人々と活動したりした。

 

でもここで問題発生。簡単に言えば、社会ってのは世知辛いぜって話。

より端的に言えば、役所の審査に通らなかったんだね。NPOってお金がかからんし、税制でも優遇されている反面、立ち上げまではわりと時間かかるし結構大変だったりする。

 

今思えば正直提出した書類もあまりイケてなかったんだとは思うけど、NPOを作ろう!という精神が主で集まっていた仲間は、この不認証の通知によって少しずつ熱を失い離散していくことになる。

 

そして時は流れ――懲りずにまた私はそういったコミュニティを作るために、再びネット上で仲間集めを開始、先述のNPO草案で考えていた目的と併せて、いずれはそういった人々が集まって独自の経済圏を作ることまでを視野に入れた法人を作ることにした。

 

これに関しては、集まったメンバーが優秀だったこと、時運も掴めたことによって、法人化の初期資金集めも成功。おそらく今年度には何か動き出すんだと「思う」。

 

思う、としか言えないのは私にはもう分からないからだ。資金集めの成功を見届けた後に、私は創設メンバーから事実上抜けてしまったからね。

これには私の家庭環境の悪化、それと共に私自身の体調不良が主な理由だけれど、隠れた要因としては、メンバーに「自己実現」が目的となっている人々が多く含まれていたから。

 

いや別に自己実現、ひいては個のブランディングやコンテンツ化自体は決して悪いことではないと思う。

そういった自己顕示欲とか承認欲求に起因したものが困難を打開するパワーにもなると思うし、むしろその人たちは優秀かつ最もエネルギッシュに活動してくれたのは事実だ。

おそらくその人たちがいなければ資金集めは間違いなく頓挫していただろうと思う。

 

けれど、少なくとも少しずつ、その人たちが動けば動くほど、私のやりたかったこと作りたかったコミュニティとは形が違っていってしまった。私はそれをコントロールできなかったんだね。

 

日々感じるその違和感に追い打ちをかけるように、私自身や私の身の回りの状況まで悪化してったわけだ。だから最終的には私が身を引けばよいのだろう、という答えを出すに至った。

 

しかし私に代わって新しく中核を担うことになったその人たちは間違いなく優秀だし、きっと法人化後も成功を収めてくれると信じているし、陰ながら応援はするつもりだ。

 

だが教訓は得られた

まぁそんなこんなでここで得た教訓は、私はリーダーには向かない。そして手段の目的化はやっぱり良くない。さらに自己実現が「目的」となる人が多くいると、組織としては危ういってこと。

 

みんなで主体的に回すコミュニティ。誰かが欠けても誰かが継いで回せるコミュニティが理想。

俗に言う分かりやすいサークルクラッシャー的な人物よりも、行き過ぎた自己実現主義の人の方を私的にはある意味警戒すべきと考えている。

 

というかそもそも、なんで法人立ち上げにこだわっていたのかって言うと、やはり広く活動していくにあたっては社会的な信頼性が大事になってくるって思ってたからなんだよね。

 

とはいえ逆にビジネス化して金儲けが主軸になってくると、途端に怪しくもなってくる。そこに付け入る人々が必ず出てくるから。これは自由ネコさんも危惧している部分だよね。

 

まぁでも完全にボランティアというか、自費で全て賄うってことになってくると自給自足も視野に入れるべきで、もはやそれなんて原始共産制?ってことになってきたりする。最終的には要はバランスなのかなぁとも思う。

原始共産制 - Wikipedia

 

結局何らかのリターンやセーフティネットが担保されているからこそ人は動くわけで、それを排除しすぎてしまうと、コミュニティが自己実現したい人たちだらけの品評会になってしまう懸念がないこともないなぁと思ったり。

 

個々の価値観が多様化し続ける中で、生きづらさの打開、という点が果たして真に永続して強いリターンたり得るのかは課題かもしれない。

 

そんなこんなで実際の例を考えてみよう

自由ネコさんが表現するところの「しょ~もない人」が集まって何か出来るのか、って問いに関しては、その「しょ~もない人」を端的にニートとかひきこもりに置き換えたとすると、NEET株式会社なんかは一定の成功例に挙げられるかもしれないね。

NEET (企業) - Wikipedia

 

しかしこの実態としては、ニートたちが実はすごかった、というよりはむしろそれらをビジネスとして考えて回す側の人間が上手いことやった、という印象になるんだと思う。

 

いや、でもこれって重要で、結局ごくごく少数のコミュニティの場合はわりと上手くいくんだけれど、それが大規模になっていったり派閥が出来ていったときに、やはりある程度他のグループや外部(リアル含めて)との橋渡しになれる人物というか、仕切りの上手い人は置くべきなんだよね。

 

というか私的には別に派閥は排除すべきじゃないという考え。それがむしろ個にはない集団の強さでもあるからね。

 

この観点で言えば、巷の宗教団体ってのは狭いコミュニティの構築、そして救いや癒しという点では成功していると言えるかもしれない。(是か非かは別として。)

 

まぁしかしそれが一歩間違って先鋭化していくと、それはそれで社会を巻き込んで大問題になるんだけどね。

オウム真理教 - Wikipedia

 

人間ってしょーもないことで争うのよ。少なくとも固く契りあった「はず」の男女だって離れてしまう。

厚生労働省:平成21年度「離婚に関する統計」の概況:離婚の年次推移

 

これは別に男女間に限った問題じゃなく、男性だけの世界とか、女性だけのコミュニティがあったとしても本質としてはなんら変わらない。人間ってそんなもん。

 

だからコミュニティの最終的な理想形としては、わりと「複数のグループ」をリーダーが連邦的に統括しつつ、各グループ間の移動は「流動的」なものが望ましいかもしれない。リーダーに関しては期限付きで、任命は都度合議で決める。

 

最初はもちろん個々が持つ趣味や主義主張や価値観で「街」を区分けする。その区分けされたコミュニティ間や外界とのコミュニケーションの主軸となる折衝役を各グループに置く。

 

でも多分内部で争いがおきたりすることもある。そんなときはまた別のグループにすぐ移動できるようにしたり、はたまた簡単に独立できたりするようにする。

というかそもそも誰かと関わることが強制されるわけではない。孤独は自由。理解される。

 

ちなみにシーランドもある意味自由。国際社会の理解は皆無だけどw

シーランド公国 - Wikipedia

 

とはいえ特定の誰かだけが完全に孤立しちゃったらコミュニティとして意味無いから、そこは折衝役の腕の見せ所。 

 

あとは仮に独身が集まるグループ(コミュニティ)で、結婚をするようなカップルが出てきた場合はその人たちに独立してもらうとかね。

色恋沙汰はトラブルに発展しやすいし。まぁさすがに恋愛まで禁止にしちゃうとAKBになっちゃうから難しいけれどw

 

うん、てか書いてて思ったけど、これって結局リアルの世界となんら変わらない単なる共和制の国じゃんっていうw

共和制 - Wikipedia

 

まぁでも規模の問題よね、実際。これを既存の国の中で、別の経済圏や生活圏を持って小さく営んでいく限り、また国とは違う形になるんじゃないかなーと。

 

場所はどこに作るのか?

無人島を買う!とかは究極なんだろうけど、ぶっちゃけ最初は四畳半のアパートの1部屋とかでもいいと思うのよ。そこがスタート。

そこから規模を少しずつ拡張したり、範囲を大きくしたりする。それがいずれは街になるわけよ。

 

んで、その街の候補は?っていうと全国に山ほどある。

限界集落 - Wikipedia

過疎地域に行って乗っ取ればいいw

 

空き寺だって、これまた全国に山ほどある。

toyokeizai.net

こういった廃止寸前の寺社仏閣にいって乗っ取ればいいw

 

いや、まぁこれらは半分ジョークだけど、何を言いたいかといえば、もし将来的に街レベルを作りたいのなら場所は日本中に探せばいくらでもあるのよ実は。

 

例えば新興宗教団体はよく山奥に施設建てるけど、今は捨て置かれてるような広大な場所だってあったりするしね。

 

話を少し逸れると、田舎の土地が中国資本に爆買いされて、日本の水源が狙われてる!なんていう陰謀論めいた都市伝説があったりするほど、実は土地って余ってる。

 

ちなみにそのデマ(?)の真相は下記を参照されたし。原野商法は今も変わらずだねぇ。

www3.nhk.or.jp

 

さてさて話を戻して前述の廃村とかの例だと、既存の近隣地域住民とかとの関わり合い方の問題もあるし、後者の寺社の場合は檀家っていうシステムがあるゆえに、結局維持にはコミュ力というか営業力が必要だしね。

檀家制度 - Wikipedia

 

あとはそもそも論として、やはりそういった不便な場所に行くとインフラ問題がある。

なんでもAmazonさんが何とかしてくれるってわけでもないので、今まで便利で不自由ない生活をしていた人ほど、きっと生活レベルの低下を感じることになる。

 

自由や生きやすさと、便利さや高い生活レベル、どちらを取るかの両天秤。

まぁ狭いコミュニティを体験したことでやっぱ外の世界の方がいいやって思った人は、そうすればいいだけの話だし、また出戻りで舞い戻ってきましたすいません!の場合は、それを皆が温かく受け入れればいいだけの話。

 

んで結局?

現行法規に従う限り、わりとこの国って街づくりレベルまで自由になんでもできるんじゃね?っていう。それこそ「ダッシュツ村」のネタ元でもあるDASH村自体がそれは証明していること。

 

ただ色々動き出す前に、個々のメンバーになり得る人にはしつこいぐらいに価値観や趣味、思想や志向、主義主張など交えたヒアリング行うとか、あとはある程度複数メンバーが固まったら深い論点でミーティングも大切なのかなーと。

 

これはいわゆる隠れたクラッシャー気質を持った人を出来るだけ忌避したいというのと、少なくともおおよそ皆が向く方向性を決めるために。

 

別にこれはリアルでやる必要はなくって、ネット上でも十分だと思う。というか逆にネット上でもコミュニケーションが取れないような真のコミュ障レベルばっかりになってしまうと、たぶんコミュニティとして成立しないのでw

 

とはいってもブレストばっかりで何も行動しないのも問題だし、ずーっとPLANばっかりでいつまでたってもPDCA回らないと埒が明かないのでw

 

やっぱりある程度リーダーシップ発揮できる人(ただし特段「リーダー」である必要はない)とか、進行役出来る人はいた方がいいんだろうけどね。

 

何をやるにも線引き問題

なんだかんだ8000文字突破だね、この記事。うん、ここ最近ではわりと書いた方。

ブラウザバックせずここまで読んでくれた方は、きっと1%くらいだろう。

 

てかたぶん私と志向的に合う人っていうのは、こういうボリュームの文章量が苦にならない人とか、慣れている人だと思うんだよね。

別に長文が好きかどうかは別として、とりあえず読める、ってのは大事なポイント。

 

自分で思うけど、わりと現代のファストコミュニケーションには向かない古いタイプの人間だわね。

 

でもねぇ、時に思うよ。LINEとかtwitterとかの短文文化なんて死ねばいいのに。って。

他にもキャッチーなサムネとインパクトだけで釣るyoutuberの短い動画とか、語句の簡便さだけで肝心の話の中身が薄い某池上氏の番組とか、、

 

いや、それが好きって人は別にいていいんです。理解はするよ。まぁ実際便利だったり面白かったりするしね。ただし納得はしない。

 

しかしまぁこういった雑多な長文でもまじめに読み進められるのか問題って、わりと人の志向の線引きにも使えたりするのかなーと思ったりはするんだよね。

 

分かりやすさが持て囃されて、簡易さが隆盛している現代においては特に、ね。

 

兎に角、こういうくだらない言論をボタン一つで電子の海に垂れ流せる、やっぱネットの世界は最高だぜw

というわけで、私は自由ネコさんの「ダッシュツ村(仮)」をこれからも応援していきます!

 

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